「最近のたまごっちは死なない。」この事実に思う危機感と「死」の背景にある本当の価値について考えてみた
■たまごっちって知ってますか?
たまごっちといえば、卵型の丸いフォルムの中に、「たまごっち」とよばれるドットキャラが現れ、そのキャラクターを3つのボタンの操作によって育てていくという、極めてシンプルな育成ゲームのこと。高校生の中にも、「持ってるよ!」という人がいると思います。私にとっても、小学校~中学校時代を共に過ごした、大切な思い出の詰まったゲームの1つです。
そんなたまごっちについて、最近こんな記事を読みました。
死なないって一見ありがたいのですが、正直私は「死ななくなった」という言葉に、ちょっとショックを受けてしまったんです。
■そもそも、たまごっちとは・・・
いまのたまごっちといえば、カラーで通信機能がついていることが当たり前ですよね。スマホのアプリとも連携できて、そうしたアクションを起こすことで様々なアイテムをゲットできたり、育つキャラクターに違いが出てきたりしています。
しかしもともとのたまごっちは、たまごっち一つで充分楽しめる、極めてシンプルなものでした。
1996年、大学4年生の私がちょうど1歳になろうとするあたりの時期にたまごっちが初めて発売されました。当時は中高生の女子に大人気、みんなカバンにつけて持ち歩いたといいます。空前の大ヒット作だったわけですね。
そんなたまごっちも、一定の時期を過ぎると衰退してしまったのですが、ちょうど私が小学校中学年のころ、みなさん世代だと小学校に入ったあたりの頃でしょう、「通信機能」をつけて復活したのでした(私は母から譲り受けた元祖たまごっちを持っていたので、その違いに産業の進展の偉大さを感じた覚えが)。
そこから、画面が赤のドットのものやケータイ型のものなど、どんどん進化していきましたよね!
■たまごっちのリアリティに学んだ感情がいくつもあった
そんなたまごっちに、心の半分以上を掴まれていた私にとって、あのゲームはものすごくリアルでした。
単純作業で育てられる、単純な絵のゲームなはずなのに、あたり前のように「ご機嫌」を取らなければいけないし、お世話をサボれば死んでしまうからです。ゲームのくせにいっちょまえに病気にはなるし、うんちもするし、なにより世話をしないと「ピリーリリッ♪」という音で私を呼びつけ、それでも放置を続けると、画面にはお墓と幽霊が現れ、「たまごっちが死んじゃいました」と、ダイレクトに伝えてくるわけです。
その画面に、何度も傷つきました……。ただ、私が悪いわけです、お世話しなかったから、死んじゃったわけで。そんな風に「たまごっちが死んじゃうこと」に恐怖感と罪悪感を感じていた結果、学校に行っているあいだも、塾や習い事に行っているあいだも、わたしの心はたまごっちでいっぱいになりました。私もまた、いっちょ前に「たまごっちのママ」になりきっていたんですね。
■現代で受け入れられるたまごっちと、消えてしまった重要性
そんなたまごっちは、今もなお存在していて、初代に比べたらだいぶ大きなボディにカラーの画面、通信機能といった最新の技術に身を包み、どんどん進化を遂げています。
しかし、そんなたまごっちは今、死なないんです。
ですからきっと、それを育てているお子さんたちも、「自分の育てたたまごっちが死んじゃう」ことを知らないんですよね。
はじめにご紹介した記事には、たまごっちを作っているメーカーから公式説明としてこう記されています。
「また”死なない仕様”に関しては、「1996年に発売した当初から”お世話しないと死んでしまう”というある意味で斬新な仕様だったが、当初女子高生が中心だった購買層が女子小学生中心となり”死ぬこと”がショッキングに感じられるかもしれないと考え、代わりに”手紙を置いてお別れする”という形にした」と説明。”死なない仕様”は子どもへの配慮から生まれたものだったようです。」
たまごっちが死ななくなった理由は、元祖時代の購買層に比べて現代の購買層が年少化したために、「配慮」した結果だったのですね。
■たまごっちの価値とはなんなのか・・・
しかし、これは本当に正しい変更だったのだろうかと、私は正直思っています。
子どもながらに、いろんなことを考えながらたまごっちを追いかけた私やおなじように遊んだ当時の子供たちに、当時たまごっちが最も伝えようとしたことは「放置したら死ぬ」ことの意味であったように思います。
もちろんこれは私のいち意見であり、決して間違った選択肢ではないと思うんです。ただ、子供たちのためにしたその「配慮」は、子供たちにとって本当に正しかったかどうかは、もう少し考えようがあるだろうなと感じています。ちなみに、上記の記事内にアルファツイッタラーとして有名なカツセマサヒコさんのツイートが引用されているのですが、まさにそのとおりだと思っています。
少なくとも私が心を奪われた「たまごっち」の価値は、私が学校に行っているあいだに「死んでしまうかもしれない!」という責任感から生まれた感情と、死なずに育っていくたまごっちへの嬉しさから得たものだったように感じます。まあそのおかげで学校にたまごっちを持ち込もうとしたりしたこともあったので、その点は悪影響なんですけどね(笑)。
■たまごっちが教えてくれた「死」から考えたいこと
一般的に誰でもが知っているようなゲームって、基本的に「死」を知らないと思います。ポケモンも、あくまでも瀕死状態までで回復できるし、喧嘩をしたり敵と撃ち合うゲームであっても、リロードという方法があって途中のステージからやり直すことができます。
しかし、たまごっちだけはそうじゃなかった。
保存のきかないデータの中で、生き物ではないけれどまるで生き物のように扱い、育て上げ、中途半端に扱えばその命も世代も失ってしまうことになります。
しかし、その「死」を踏まえるからこそ大切に育てれば、あらたな出会いが生まれ、世代が続き、キャラクターの種類もどんどん増えていくんですよね。それって、すごくリアルなことだと思います。生きること、死ぬことは、本人がショックを受けようが受けまいが関係なく、小さなうちから知っておく必要があると思います。なんでも生き返る感覚を持ってしまっては、怖いのです。
「死なないたまごっち」
みなさんはどう思うのでしょうか。片手でできる、簡単なゲームのお話でしたが、これをきっかけにちょっと、「限りある命」について考えてみてくださいね。